いにしえの美、いつかの記憶。

連載

懐かしきモノ―駄菓子屋


薄暗い店の中には、色とりどりの菓子やおもちゃが所狭しと並ぶ。
少し上を見上げると、くすんだ色のくじが揺れていて、壁に貼られためんこやブロマイドがこちらを見ている。

江戸の町に生まれた駄菓子屋は、明治・大正を経て、昭和の街角に子どもたちの居場所をつくった。
駄菓子屋の記憶をたどると、子どもの小さな社会が見えてくる。



江戸時代から続く駄菓子屋の文化

駄菓子屋の原型は、江戸時代の町の暮らしの中に見られる。

江戸の町には「木戸番」や「番太郎」と呼ばれる人々がおり、町ごとに置かれた木戸の開閉や見張りを担当していた。

しかし木戸の番だけではとても食べていけないため、彼らは小屋(番人小屋)で菓子や草履などを売り始めた。
これが駄菓子屋の始まりだ。

番人小屋で売られていたのは、白砂糖を使った上等な菓子ではなく、黒砂糖や水飴、雑穀などを使った安価な菓子だった。

菓子の種類は主に半生菓子、干菓子、飴などで「番太郎菓子」や「四文菓子」と呼ばれていたという。

中央右に「番人小屋」の文字がある
喜田川季壮尾張部守貞 誌『守貞謾稿』巻3,写. 国立国会図書館デジタルコレクション (加工済み)

明治時代に入ると、駄菓子の文化はさらに広がっていく。
東京・神田には多くの駄菓子職人が集まり、職人たちの住む家が1000軒を超えたともいわれる。

明治時代の駄菓子屋は「一文菓子屋」「一銭菓子屋」などと呼ばれ、金平糖、飴玉、五家宝、せんべい、おこしといった素朴な菓子や、ボンボン、砂糖付きパン、安物のカステラのようなハイカラ風の菓子も並べていた。
当時の風俗を描いた文献にも、子どもたちがわずかな小銭を握り、駄菓子屋に通い詰める様子が描かれている。

大正から昭和にかけて、川越、浅草、錦糸町などには多くの駄菓子屋が並んだ。
現在も埼玉県・川越の菓子屋横丁などに、その名残を見ることができる。

現在の川越 菓子屋横丁

昭和に入っても駄菓子屋には幼児や小学生が集まり、ようかんやソースせんべいを食べながら、ベーゴマやメンコ、おはじきなどを楽しむ姿が毎日のように見られた。

しかし現在の私たちが思い浮かべる「駄菓子屋」は戦後に生まれたものだろう。
戦後の混乱の中で、ガード下の道路を活用した上野のアメ横や、交通の便のよい日暮里に駄菓子の問屋がひしめき合い、駄菓子は下町の象徴とも言える存在になった。

江戸の番小屋の脇に生まれた小さな商いは、やがて町の子どもたちが集う場所へと変わっていったのだ。



駄菓子屋と子どもたち

駄菓子屋が最も他の店と違うのは「子どもだけで入れる店」という点だろう。

店にはよちよち歩きの子どもから体格のよい小・中学生までが集まり、手持ちのお金と相談しながら駄菓子やおもちゃを買った。誰かが買ったものをのぞき込んだり、はずれくじに文句を言ったり、時には口げんかをしたり。
子ども同士の小さなコミュニティが形成されていたのだ。

学校ではあまり話さない上級生が、当たりの出やすいくじを教えてくれた。
いつも勝気な男の子は、店先でいろんな人とメンコの勝負をしていた。
隣の学区の子たちがいると、なんとなく店に入りづらかった。
そんな思い出が次々と浮かんでくる。


時に世の中の不平等が見えることもあった。
お金持ちの子は、くじを何回も引いたり、高価なおもちゃをためらわずに買っていったりする。愛想のいい子は店のおばあちゃんに取り入って、よくおまけをもらっていた。

子どもたちにとって、駄菓子屋は紛れもなく「社会」だった。
友だちとの付き合い方、守るべきルール、競争、羨望、不平等、諦め。
家や学校では学べないものが駄菓子屋にはあった。


子どもたちに流行を届ける駄菓子屋

メンコ、ベーゴマ、おはじき、ブロマイド、着せ替え人形、ブリキのおもちゃ、ハッカパイプ、紙製鉄砲。
駄菓子屋のおもちゃには、その時代の子どもたちが何に憧れ、何を集めたがっていたのかが映し出されていた。


例えばメンコの図柄には、力士や役者、野球選手、怪獣、漫画やテレビのキャラクターが描かれた。
昭和30年代以降、テレビが家庭に普及すると、ヒーローもののブロマイドやカード、時代劇の俳優の日光写真などが人気を集めた。

全国的な流行は、テレビや雑誌から生まれ、問屋や小売店を通って、最後に町角の駄菓子屋へ届く。
そこで初めて、世間の流行は子どもたちの手のひらに収まるものになったのである。


夏の駄菓子屋は子どもたちのオアシス

夏を迎えると、駄菓子屋は涼を求める子どもたちが集まった。
汗だくになって遊び回った後、冷たいラムネで喉を潤し、固いアイスキャンデーをかじる。
何物にも代えがたい極上のごちそうに感じられた。


特に昭和50年代まではエアコンが普及していなかったこともあり、駄菓子屋は子どもたちにとって夏の暑さをしのぐ避難所でもあった。
日差しを遮る店内に一歩入ればどこかひんやりとし、軒先には同じように涼を求める友達が自然と集まってくる。
今でも懐かしい夏の記憶として、駄菓子屋を思い出す人は少なくないだろう。



高度経済成長の中で、地域と子どもをつなぐ場所に

駄菓子屋が特に人気を集めた昭和30~40年代は、高度経済成長の真っただ中だった。
大人は朝から晩まで働き詰め、女性の社会進出も進み、子どもに構う余裕はほとんどなかった。

そこで大人たちは子どもに小銭を握らせ、駄菓子屋へと送り出した。
駄菓子屋なら同年代の遊び相手がいて、店主の目もある。危ない場所に行くよりは安心であり、買い物を通じてお金の使い方も覚えられる。

もちろん、当時の大人がそれを明確な教育方針として考えていたわけではないだろう。
それでも、駄菓子屋は結果として、家庭と地域の間で子どもを受け止める役割を果たしていた。


店のおばちゃんやおじちゃんも、不思議な存在だった。
子どもたちの顔を覚えて、悪さをした子をよく𠮟りつけていた。
しばしのおしゃべりを楽しんだり、親にも友達にもできない相談をした人もいただろう。

家族ほど近い存在ではないが、学校の先生ほど緊張する存在でもない。
ゆるやかな距離で子どもたちを見守ってくれていた。

高度経済成長期の日本では、道路が広がり、団地が建ち、家庭には新しい家電が次々と入ってきた。
社会全体が前へ前へと進んでいくなかで、駄菓子屋は昨日と同じように戸を開け、昨日と同じ棚に菓子を並べ、昨日と同じ店主が子どもたちを迎えていた。

しかしそれは、時代に取り残されていくことの証拠でもあった。
急速に豊かになっていく社会の片隅で、変わらないまま子どもたちを待ち続けた駄菓子屋の姿は、今でも私たちの胸を締め付ける。


駄菓子屋の店主はなぜ女性や高齢者が多かったのか

駄菓子屋には、なんとなく「おばあちゃん・おじいちゃん、おばさんがやっている店」というイメージがある。
これには時代的な背景が少なからず影響している。

明治時代以降、駄菓子屋は「家にいながらできる商売」として認知されていた。
元手が少なく、家の空いているスペースを活用するだけで店が開けるため、子守のために家にいる女性や、外で働けなくなった高齢者が店主となることが少なくなかったのだ。

明治時代~大正時代には、庶民向けの書籍でも駄菓子屋の開き方が紹介されている。
かの有名な小説家・樋口一葉も駄菓子屋を開き、収入を得ていた。

「小売りではわずか45円で開業できる」「子ども相手の商売であるから年中相応に売れる」「婦人の内職に営むのが多い」など、当時の駄菓子屋の特徴が読み取れる
東京書院 編『大正営業便覧』上巻,東京書院,大正3. 国立国会図書館デジタルコレクション (加工済み)

さらに戦後には、夫を亡くした女性、いわゆる「戦争未亡人」が子どもを育てながら続けられる商いとして、駄菓子屋を開く例もあった。
大層な店を開かなくても、土間に駄菓子を並べておけば、子どもたちが買いに来る。
夫を亡くし、子育てに追われる未亡人には、駄菓子屋の経営はうってつけだったのだ。



駄菓子屋の今

時代とともに、駄菓子屋の姿も変わっていく。
コンビニやスーパーが増え、菓子はより明るく、清潔で、便利な場所で買えるようになった。
子どもたちは塾や習い事で忙しくなり、家庭用ゲーム機やインターネットの普及によって、遊びの場所も屋外から室内へ、さらには画面の中へと移っていった。

もとより駄菓子屋は、子どもを相手に数十円の商品を売る商売であるため、それだけで生計を立てるのは難しい。
私たちが思い浮かべるような懐かしい駄菓子屋の姿は急速に消えていった。

駄菓子屋が減ったことは、単に一つの小売業態が衰退したという話ではない。
地域と子どもをつなぐ場所や、子ども同士のコミュニティ形成の場所が減ったことも意味している。

昔懐かしい駄菓子はコンビニ・スーパー・ドラッグストアなどでも購入できるようになった

それでも駄菓子屋は、完全に過去のものになったわけではない。
現在では昔ながらの個人店に加えて、大型商業施設の駄菓子専門店や、駄菓子を楽しめる飲食店など、さまざまな形の駄菓子屋が見られる。

このような駄菓子屋は、菓子やおもちゃを買う場所というより、懐かしさを体験する場所として訪れられることが多い。
客は大人が多く、大量に駄菓子を買い占める「大人買い」の姿もよく見られる。
あの頃の自分と話をしながら、カゴいっぱいに思い出を詰め込んでいくのだ。



最後に中勘助の詩を紹介して、この記事を終わりにする。


路は遠いけれど
遠いほどよかつた
松のかをる路を
ふたりで駄菓子をかひにいつた
いくら話してもきりのない
ひとつところへ戻る話
すべてが胸の香爐に入つて
いみじき陶酔の香煙となる
鬼が島の寶物みたいに
ふろしきに包む駄菓子
豆ねぢ
おたさん
きんか糖
うづまき
汗にぬれて歸り
顔を洗つていれる番茶
三十数年前の
楽しかつたその日

―中勘助『藁科 : 詩集』より


駄菓子屋はいつでも私たちを「楽しかつたその日」に連れ戻してくれる。










◇参考文献
・松平誠『駄菓子屋横丁の昭和史』2005年 小学館
・串間努『ザ・駄菓子百科事典』2002年 扶桑社
・斎藤駿『平成版・駄菓子大百科』1992年 カタログハウス
・初見健一『ボクたちの駄!菓子』2017年 オークラ出版
・多田敏捷『駄菓子屋のおもちゃ<おもちゃ博物館3>』1997年 京都書院 

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