
プリンは眩しい。
冷蔵庫の中でも、テーブルの上でも、お店でも、思い出の中でも、プリンはいつだって輝いている。
プッチンプリンをお皿に出すときのわくわくした気持ち、家で作ったプリンを作った時間、喫茶店で出てくるプリンアラモードへのときめき。
黄色くて甘い、ただそれだけでは終わらないプリンの話をしよう。
プリンの思い出

私の中で、プリンの思い出は3つに分かれている。
一つはプッチンプリン。
子どものころのプリンといえば、まずプッチンプリンを思い浮かべる人も多いのではないだろうか。
カップを逆さにして、皿の上に置き、底の突起をプチッと折る。ゆっくりとプリンが落ちる感覚が指に伝わる。最後にぷるんと皿に着地する瞬間には、「やったぞ!」と妙な達成感が湧いた。
カラメルの苦さのことも思い出す。「先に苦いとこだけ食べてしまおう」と、カラメル部分だけをすくい取って食べたりしていた。ついこの間、久々にプッチンプリンを食べたが、予想外以上に甘く感じた。子どもでいられる時間は短い。
一方で、家で作るプリンにはまた別の思い出がある。
卵と牛乳と砂糖を混ぜ、蒸し器やオーブンでゆっくり固める。プッチンプリンよりも断然手間がかかるのに、どうしてわざわざプリンを作っていたのかは思い出せない。ときには表面に少し“す”が入ってしまったり、カラメルが苦くなりすぎたりと失敗することもあった。
けれど、プリンを作る時間そのものが幸せだった。自分で作るときも、誰かに作ってもらうときも、プリンを作る時間は、少しずつ楽しみを育てる時間だった。今ではプリンを作ることも、固まるのを待つ時間も、ぜいたくなひとときのように思えてしまう。
そして、喫茶店のプリンアラモード。
これはもう、完全に非日常の食べ物だ。背の高い器、かためのプリン、生クリーム、缶詰のさくらんぼ、カットされた果物。あれこれおめかしをしたプリンは、舞台に立つアイドルのようなときめきをくれる。
グラスの中央で少し威張った感じもかわいらしい。「プリン」と「プリンアラモード」は同じものであれど、やはりプリンアラモードは別格だと感じる。
見た目のかわいらしさと同じくらい強烈だったのが、カラメルの苦さだ。
プッチンプリンのカラメルでさえ少し苦く感じていたのだから、「お店のプリン」のカラメルの苦さにはうろたえた。
カラメル部分を食べきれただけで、その店に認められたような誇らしい気分になったことを覚えている。
思い出の中のプリンは、いつも楽しい時間とともにある。
今でも「プリン」の3文字を見ると、わくわくした気持ちになるのはそのせいだろう。
体験としてのプリン

個人的に一番思い入れがあるのは、プッチンプリンだ。
子供の頃によく食べたから、というのも理由の一つだが、なによりプッチンプリンは、「プッチン」がある。
ひっくり返してプリンを出すという点においては、家で作ったプリンも同じだ。しかしプッチンプリンの「プッチン」は唯一無二だ。突起を押す爽快感もさることながら、プリンが落ちる様子にも期待が膨らむ。皿の上に着地するまでの数秒間は誰にも邪魔されたくない。無事に着地すると、何かを成し遂げたような気分になる。
もちろん、プッチンに失敗することもあった。押す部分だけが変な折れ方をして、プリンが出てこない。仕方なくスプーンで周りを少し押してみたり、カップを軽く揺すったりすると、崩れて出てくる。うまく出てこなかったときはなぜか無性にイラッとした。
振り返って考えてみれば、子どもの頃の自分にとっては、プッチンプリンは一種の挑戦だった気がする。食べ物をただ口に運ぶのではなく、「プッチン」という動作を加えて、結果を待ち、成功や失敗を味わう。この一連が、幼い自分にとっては数少ない「力試し」の機会だったのではないだろうか?
今も私の中にこの「力試し」の感覚は残っているらしく、プッチンプリンを押すときは「いくぞ!」と気合が入る。
大人になって食べるプリン

大人になった私たちにとって、プリンはさらに自由な食べ物になった。
スーパーで馴染みあるプッチンプリンを買ってもいいし、家でのんびりプリンを作ってもいい。喫茶店のプリンアラモードも、ケーキ屋や専門店の高級プリンも、自分の意志一つで買える。
ふとしたときに虚しくなって、子どもの頃の方がプリンをもっと新鮮に、もっとおいしく感じられたのに、と思うこともある。
けれど大人の私たちは、「懐かしさ」という新しい味覚を手に入れている。
目の前にあるプリンと思い出の中のプリンを比べながら味わうこともできるし、懐かしいあの頃の味に重ね合わせることもできる。
ときにはプリンの甘さに子どもの頃の自分を思い出して、カラメルのほろ苦さにもう戻れない時間への寂しさを募らせる。大人には大人の「プリンの食べ方」があるのだ。
きっとプリンはこれからも、私たちにめくるめく輝きを見せてくれる。
文/神山 史月 イラスト/さいとうあかり