光を受けて輝く黒髪の美しさは、いつの時代も変わらず人々の目を惹きます。
中でも平安時代の人々が定めた「髪の美しさ」には、現代とは大きく異なる特徴があることをご存じでしょうか。
今回は、平安時代の女性の髪形や手入れの方法まで、詳しく解説します。
平安時代の女性の髪形
平安時代の女性の髪形
平安時代の女性の髪形と言えば、多くの人は「黒く長い髪を後ろに垂らした様子」をイメージするのではないでしょうか。
このような髪形を「垂髪」と呼びます。
平安時代の貴族の女性は、垂髪にするために小さい頃から準備をしていました。
基本的には下記のような流れだったと考えられています。
0歳~ 3歳 | 髪をそり上げて過ごす(将来健やかな髪が生えてくると考えられていたため) |
3歳~ | 3歳になると「髪置きの儀」という子供の成長を願う儀式が行われ、髪を伸ばし始める。 |
成人 | 成人した印として「鬢削ぎ」を行い、毛先をきれいに切りそろえる。 |
こうして長い時間をかけて髪を伸ばし、大人の女性となったのです。
成人した後の髪形
平安時代の女性は、成人すると髪の一部を自由に切ることが許されました。
主に頬や肩の辺りで切りそろえていましたが、既婚者は胸の辺りで切りそろえることもありました。
こうして切りそろえた髪は、動いた時には揺れて華やかさを出し、俯いた時には顔にかかって儚さを滲ませました。
現代では、顔回りの邪魔な髪は結んだり耳にかけたりしますが、当時は嗜みがなく下品だとひんしゅくを買ったそうです。
平安時代の「髪の美しさ」とは?
前項で解説した垂髪(=長い黒髪)は、平安時代の美人の第一条件でした。
と言ってもただ単に長ければよいのではなく、以下のような具体的な条件がありました。
1:量が多い
2:つやがある
3:頭の形がよい」
4:くせがなく真っすぐ
5:頭頂部から毛先まで扇型に広がる
上記のような条件を満たさない女性や髪の短い女性は、かつらや付け毛などを使うこともあったそうです。
美しい髪の与える印象は強く、源氏物語でも「顔は好みではないが髪はすばらしい」と女性を寵愛する描写があります。
髪の美しさが現代よりもかなり重要視されていたのですね。
実際の髪の長さ
上の画像には、髪が短い女の子が2人描かれています。
この2人は「童女」といい、まだ成人していない幼い女の子達です。
実際の髪の長さはどれくらいだったのでしょうか。
多くの人は自分の身長と同じくらい~少し長いくらいでした。
平安時代の女性の平均身長は約140cm~150cmのため、短く見積もっても1mは超えると考えられます。
紀伝体の歴史物語である「大鏡」には以下のような記述があり、詳しい長さが読み取れます。
彰子:着物の裾を超える
妍子:着物の裾を1尺(30cm)ほど超える
威子:身長を少し超える
嬉子:身長を7~8寸(21~24cm)超える
また、源氏物語には6尺(1m80cm)の女性や9尺(2m70cm)の女性も登場しています。
髪は1cmで約1gのため、150cmで1.5㎏ほどになります。
当時の女性の苦労がうかがえますね。
平安時代の髪のお手入れ
前項で説明したような長さと重さでは、日々の手入れも人の力を借りることになります。
皇女(天皇の子)を女房(身分の高い女官)が手助けし、女房を侍女が手助けしていました。
洗髪は年に数回
現代で髪のお手入れの基本と言えばシャンプーが思い浮かびますが、当時は1年に数回ほどしか髪を洗っていませんでした。(諸説あり)
洗髪には「泔」(米のとぎ汁)や「灰汁」(灰を混ぜて溶かした上澄み)を使っていました。
時には「澡豆」(小豆の粉)も使っていたそうです。
『平安時代史事典 本編』下巻(古代学協会編 角川書店 1994年)の「御髪(みぐし)澄(す)まし」の項によると、皇女などの場合は、付添いの女房たちが朝早くから一日がかりで洗い、清水できれいにゆすぎ、四尺ぐらいの丈の高い厨子の上に褥(しとね)を敷き、その上に洗った髪を載せ、母屋の御簾を上げて風通しをよくし、中が見えにくいように几帳や屏風を立て、火桶に火をおこして薫物をたき、布でふきながら火にあぶって乾かした。また女房などは2、3人の侍女に手伝わせて洗髪ののち、風通しのいい縁側に横になり、ぬれた髪の下に細長い簀子(すのこ)をあてがい、侍女が大きな扇であおいで乾かした。
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000148561&page=ref_view
1回の洗髪にこれほどの労力がかかる上に、暦の良い日を選ぶ必要もありました。
こうした苦労を考えると、年に数回であるのもうなずけます。
洗髪のための休暇も用意されていたそうです。
平安時代の日々のお手入れ
平安時代の貴族の女性はこまめに髪を洗わない代わりに、日々の手入れには様々な道具を用いていました。
お香
当時の貴族の女性は髪や体にお香の香りを纏いました。
また、髪を乾かす時には、お香を焚いた火鉢を傍に置き、扇いで髪に香りを移していたそうです。
各々で異なる香りを纏っていたため、人を判別する材料にもなっていました。
(体までお香を焚きしめたのは、入浴の回数が少なかったためと考えられています。入浴は儀式の前に体を清める特別な行為とされ、日常的ではありませんでした。)
髪油
整髪料としては髪油が使われていました。
髪油の原料は「サネカズラ」という植物の茎に含まれる粘液です。
この粘液を水で伸ばしたものを髪につけることで、つやを出したり整えたりすると同時に、垢取りもできていました。
女性だけではなく男性にも愛用されており、主に烏帽子をかぶる前の整髪に使われていました。
つや出しのためには、椿油や丁子油も使われていたという記録が残っています。
角盥
角盥は木製の漆塗りの盥に蒔絵が描かれたものです。
左右に角のような形の取っ手が付いていました。
平安時代では主に顔や手足を洗う際に使われていましたが、この盥に入れた水で髪を濡らして梳くこともありました。
泔坏
泔坏は泔(前項参照)を入れるための器です。
この器に入れた泔を使って髪を整えていました。
具体的には目の細かい櫛に付けて梳いたり、布に染み込ませて叩いたりしていました。
しかし、こうして櫛で梳くのも3日に1回ほどだったそうです。
庶民の女性の髪形
平安時代では庶民の女性の髪形も垂髪でしたが、貴族の女性ほど長くはなかったようです。
また、基本的に室内にいる貴族の女性とは異なり、庶民の女性は外で働くこともありました。
そうした時には後ろで輪の形に結って、髪を束ねたりもしたそうです。
貴族の女性は髪を耳に掛けるだけでも品がないとされていたため、大きな違いがありますね。
おまけ~かつらについて~
奈良時代と平安時代のかつらについて補足しておきます。
奈良時代のかつら
奈良時代のかつらは、平安時代のように日常的に使うものではありませんでした。
記録によると、主に六位以下の者が朝廷で仕事を行う際に使っていたようです。
701年の「養老の衣服令」(女官の衣服に関する令)でも、「義髻」というかつらを表す言葉が使われています。
平安時代のかつら
平安時代ではかつらも付け毛も「かつら/かづら」と呼ばれ、基本的には人間の髪の毛から作られたかつらを使っていたようです。
主に髪の短い人や毛量の少ない人が使用していました。
しかし、かつらを使うことは少しマイナスなイメージもあったようです。
清少納言の「枕草子」でも「かっこうのつかないもの」として、以下のように言及されています。
「髪の毛短いひとの、かづらをとって髪をくしけずる」
かつらを使わずとも、長く量の多い美しい黒髪が良しとされていたのですね。
まとめ
平安時代の女性の美しさは、努力の賜物だったのですね。
髪だけではなく、美しく保とうとする姿にも心惹かれるものがあります。
こうした背景を知った上で当時の書物や絵画に触れると、より近い目線で楽しむことができそうです。