夏の風に揺らめく風鈴。その意外な起源と歴史を解説

歴史
縞揃女弁慶[三井寺の鐘] 
画:歌川国芳 
出典:東京都立図書館
(一部加工)

夏の風に揺らめく風鈴は、目にも耳にも涼しさを運びます。

現在では風鈴は夏に使うもの、というイメージがありますが、昔は一年中吊るされていたことをご存じでしょうか。

実は夏の風物詩としては意外な起源と歴史を持つのです。

風鈴の起源

寺に吊るされる風鐸
皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか

風鈴は、約2000年ほど前の中国で「占風鐸」という占いの道具として使われ始めました。
竹林に吊る下げ、音の鳴り方や風の向きで吉兆を占っていたのです。

やがて日本の僧侶達が仏教と共に持ち帰り、現在もお寺の四隅には「風鐸」として吊るされています。

当時は現在のような涼やかな音ではなく、ガランガランと鈍い音だったと言われています。
この音が聞こえる範囲では災いが起こらないとされており、一年中吊るされていました。

魔除けとして使われた風鈴

貴族と風鈴

平安時代には、貴族が風鈴を魔除けとして軒下に吊るすようになりました。
この頃は、主に魔除けを表す朱色の風鈴が使われました。

貴族の権威の象徴としても扱われていたそうです。

暑気払いの道具として大衆化

このように、主に寺や貴族の屋敷で使われていた風鈴ですが、徐々に大衆に広まっていきました。

昔は夏に疫病が流行りやすかったため、暑気払いのための道具として浸透していったのです。

それに伴い、魔除けの道具としての朱色から、より涼しさを感じられる青色へと変化していきました。(朱色の風鈴も継続して流通していました)

室町時代には大衆化していたという記録が残っています。

風鈴と仏教

「風鐸」から「風鈴」へと変化

「風鈴」という名前に変化したのは、鎌倉時代末期とされています。

浄土宗の開祖である法然上人が、文中で「風鈴」という表現を用いたことが始まりのようです。

当時は「ふうれい」と発音していましたが、いつしか現在のように「ふうりん」と呼ばれるようになりました。

また、法然上人は風鈴を「極楽に吹く風を知るもの」としても捉えていたと言われています。

やがて法然上人の弟子が風鈴を気に入って持ち歩くようになり、現在のように小ぶりになりました。

風鈴と悟り

風鈴と仏教の関係性を説いたのは法然上人だけではありません。

風鈴は偈頌げじゅ(禅宗の僧侶が悟りの境地を表現する漢詩)の題材としても使われ、その詩は風鈴頌ふうりんしょうと呼ばれました。

中でも天童山の如浄禅氏の詩が優れていたとされています。

渾身うんしん口に似て虚空に掛り、
 東西南北の風を問わず、
  一等、他の為に般若を談ず、
滴丁東了滴丁東ていちんとんりやんていちんとん

https://www.zofukuji-fuurindera.jp/yumekakefuurin

「どこから風が吹いても変わらずちりんちりんとなる風鈴のように、人生にどんな風が吹いても平常心を保つ」

風鈴の音に心の働きも倣いたいものですね。

江戸時代の風鈴

ガラス製の風鈴の登場

江戸時代に入るとオランダから透明のガラスの製法が伝わり、中期にはガラスを用いた風鈴が登場しました。

こうしたガラス製の風鈴は、長崎のビードロ職人が江戸・大阪・京都を巡業する中で人々に知られるようになりました。

しかし、当時のガラスはとても高価で、現在の価格にして約200~300万で売買されていました。
そのため、大名や豪商といった資金力のある人達だけに楽しまれていたようです。

江戸の町と「風鈴蕎麦」

人々がガラス製の風鈴を身近で見かけるようになったのは、1736年~41年に「風鈴蕎麦」という屋台蕎麦が登場してからだと考えられています。

「風鈴蕎麦」では屋台にガラス製の風鈴を1~2つ吊るし、その音で人々の関心を引きました。

また、主に「二八蕎麦」と「質の良いネタ」を扱った夜食用の蕎麦を提供し、かけ蕎麦のみを販売していた「夜鳴き蕎麦」との差別化を試みました。

屋台の外観には市松模様を取り入れ、目にも印象的な屋台だったようです。

この「風鈴蕎麦」は明治時代まで長く親しまれました。

粋と涼を併せ持つ道具として変化

提供:Photo AC

1830~43年には江戸でもガラスが生産されるようになり、ガラス製品を扱う問屋も出現しました。
中でもビードロ風鈴やビードロ簪のような嗜好品が流行しました。

この頃から風鈴は粋と涼を楽しむ道具へと変化し、絵画のモチーフとしても使われるようになりました。

江戸の町では「風鈴売」が鳴らす風鈴の涼やかな音が響き、涼を運びました。

売り声もなくて 買い手の数あるは
音に知らるる 風鈴の徳

この狂歌は江戸時代末期の風鈴売の様子を歌ったものです。

売り声を上げずとも、町を歩けば風鈴の音に人々が惹きつけられる。

そんな様子が目に浮かびます。

夏の風物詩として浸透

風鈴を夏に吊るし、秋には収める習慣が生まれたのは、江戸時代と言われています。(諸説あり)

風鈴が流行する前から、人々の間では秋になると籠の中で鈴虫を飼い、鳴き声を楽しむ習慣がありました。

風鈴の音と鈴虫の鳴き声が似ていることから、夏は風鈴の音を、秋は風鈴を収めて鈴虫の鳴き声を楽しむ風習が生まれたと考えられています。

「卯の花月」画:歌川豊国(3世) 出典:東京都立図書館 (一部加工)

画像は「卯の花月」、つまり4月の江戸の町を描いたものです。

旧暦では4月は初夏に当たり、中央の男性が初鰹を捌いている様子からも夏の始まりが感じられます。

中央左にも注目してみてください。風にそよぐ風鈴が描かれています。

朱色の外身は夏の太陽を、淡い赤と青の縞模様の短冊は、太陽に照らされる空と海を表しているようにも見えますね。

まとめ

明治時代にも風鈴は人々を魅了し、明治20年頃には風鈴売で安く江戸風鈴を買う人が続出しました。

そして、現代まで日本の夏の象徴として人々に愛され続けています。

魔除けの道具から、涼を運び、夏の風情を感じさせるものとして変化した風鈴の歴史を思うと、今日まで受け継がれる日本人の感性がひしひしと伝わってきます。

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