いにしえの美、いつかの記憶。

祭り

大覚寺「観月の夕べ」|大沢池に二つの月が昇る夜


2025年10月6日、中秋の名月。
皆さんは夜空に輝く月を見上げたでしょうか。

数々の古刹や古社が歴史を刻む京都では、あちこちで観月の催しが開かれました。今回ご紹介する「大覚寺 観月の夕べ」もその一つです。

大覚寺の前身は、嵯峨天皇の離宮「嵯峨院」。その敷地の東側には、天皇の癒しの場にふさわしく「大沢池」と呼ばれる大きな池がつくられました。

中秋の名月の夜に二つの月が昇る大沢池は、名月鑑賞の地としても名を知らしめています。
舟を浮かべ、詩歌管弦を楽しみながら名月を愛でる——そんな平安貴族の観月文化が、今もこの池に受け継がれているのです。

本記事では大沢池の歴史をたどりながら、2025年度「大覚寺 観月の夕べ」を振り返ります。


1200年以上の歴史を持つ「大沢池」

嵯峨で1200年以上の歴史を刻む大覚寺。その東側に「大沢池」があります。

大沢池とは離宮嵯峨院の造営の際につくられた、日本最古の人工林泉です。当時の文化人たちの憧れの場所である、中国の「洞庭湖」を模しており、池の中には「庭湖石」と呼ばれる石が残されています。春には桜、秋には紅葉が美しく、国指定の名勝地としても名高くあります。

嵯峨天皇は自身の離宮である嵯峨院に、多くの文人や墨客を招いていました。その影響で大沢池を題材とした詩歌や書画が多数残されています。


ひともとと思ひし菊を
おほさはの池のそこにも誰かうへけむ

—— 紀友則


紀友則が菊合の際に詠んだ歌です。大沢池の水面に映る嵯峨菊を見事に詠んだこの歌は、古今和歌集に収められました。



日本三大名月鑑賞地としての大沢池


多くの文人に詩情をもたらした大沢池は「日本三大名月鑑賞地」にも数えられました。中秋の名月の夜、嵯峨天皇は大沢池に舟を浮かべて風雅なひとときを過ごしていたとされています。

舟に乗って月を観る催しは、桓武天皇の時代には神泉苑で行われていましたが、嵯峨院が造営されたことで秋の大沢池の恒例行事となりました。大沢池は嵯峨の広沢池や奈良の猿沢池と並んで日本有数の名月鑑賞地となりましたが、嵯峨天皇の没後、一時荒んでしまったようです。


おほさはの池の景色はふりゆけど
かわらず澄める秋の夜の月

—— 藤原俊成


変わらない美しさを持つ月と対比して詠まれた大沢池ですが、大正11年に国の名勝に指定され、近年まで数々の修復プロジェクトも行われました。

そして造営から1200年以上経った今もなお、お月見の名所として知られています。



「大覚寺 観月の夕べ」を振り返る



平安時代のお月見の趣を今に伝える「大覚寺 観月の夕べ」。

嵯峨天皇が大沢池に舟を浮かべて名月を鑑賞したことからはじまり、夜空に浮かぶ月と水面に映る月を一度に眺められる贅沢な催しです。

今回は抽選で「五大堂観月台」での観月と「龍頭鷁首舟」への乗船権を獲得しました。一連を写真付きで振り返ります。



1:池のほとりで月を待つ


まずは受付を済ませて、集合時間まで池のほとりで月を待ちます。

この日は10月6日、中秋の名月。天気もよく17時半すぎには月が見え始めました。少しずつ雲から顔を覗かせる月に、周りの人もわあと声を上げます。

水面にも月が映り、ゆらゆらと揺れました。



2:五大堂観月台での観月


集合時間になり、五大堂観月台へ移動。抹茶とお饅頭をいただきながら月を眺めます。

用意された席に座ると、早速抹茶とお饅頭が運ばれてきました。お饅頭は中秋の名月にふさわしく、うさぎを象ったもの。こっくりと甘い白あんが抹茶の風味を引き立てます。

五大堂観月台はビル2~3階分ほどの高さがあり、ふわりと軽い風を感じました。

池舞台には神饌が供えられていました。お月見は初穂祭としての側面を持ち、その時期に収穫した作物を供えることで神様に感謝を捧げるとともに、翌年の豊作を願うという習わしがあります。

抹茶とお饅頭をいただいた頃には、時刻は19時前になり、月はすっかり上へ。この後の乗船への期待も高まります。



3:鷁首舟に乗船

いよいよ乗船。舟は龍頭と鷁首の2種類があり、今回は鷁首舟に乗船しました。

「鷁」とは、中国で誕生した伝説上の水鳥を指します。鷁首と龍頭は対を成し、両者は「龍頭鷁首」として貴人の乗る船の飾りに用いられました。

全員が乗船すると、舟はゆっくりと前へ進み始めました。体温より少し冷たい風が吹き抜けます。

舟の先頭には巫女さんが座り、舟や観月の夕べの歴史について解説をしてくださいました。

夜空の月と水面の月。2つの月が目に映り、水面の向こうにも空間が広がるような錯覚を覚えます。

巫女さんの解説にもありましたが、平安時代の貴族は「夜空の月を直接見る」ことを避けていました。特に天皇は「神の子孫」ですから、自分の頭よりも上を見上げることはほぼなかったと考えられています。

『竹取物語』にはかぐや姫が月を眺める描写がありますが「月の顔見るは、忌むこと」と止められています。また『源氏物語』にも「月見るは忌みはべるものを」という表現があります。平安時代の貴族のお月見は、直接月を眺めるのではなく、水面に映った月を眺める方法が主流だったのです。

同時に2つの月を眺めるという行為は、現代に生きる私たちに許された、限りなく贅沢な行為なのかもしれません。

無数に広がる蓮の葉を横目に、水の音に耳をすませます。舟で楽しむ「観月」は、耳にも風情を感じさせてくれるようです。水面に引き込まれそうになっていると、いつの間にか乗船口に近づいていました。

まだまだ乗っていたい気持ちを押さえつつ下船。傍からはかなりゆっくり進んでいるように見えたのですが、実際はあっという間でした。



4:周辺を散策


下船後は大沢池の周辺を散策。先ほど乗船した鷁首舟を撮影しました。水面に映る景色が本当に美しく、日本に「水鏡」という言葉が生まれたのも頷けます。

昭和42年に建てられた心経宝塔の鮮やかな朱が暗闇に映え、存在感を増しています。傍には出店もいくつかありました。

船頭に一人、船尾に二人の漕ぎ手が立ち、ゆっくりと舟を漕ぎます(撮影/神山 史月)

龍頭舟を後ろから撮影。菊紋が描かれた幕が風にはためきます。

船尾の漕ぎ手の方が手にしているのは竹でしょうか。水面を切るようにして進んでいきます。

龍頭舟には「龍」の文字を入れた提灯が吊るされていました。龍頭舟と鷁首舟のどちらに乗るかは選べないのですが、また機会があればぜひ龍頭舟にも乗ってみたいものです。

月の光を浴びる池舞台の前を、龍頭舟が通ります。水面には月が揺れ、周囲の人たちも皆平安時代さながらの空気に包まれました。



5:法話を耳に月を眺める

大沢池周辺を散策してしばらくすると法話が始まりました。(法会も行われていたのですが、筆者は乗船中でした)

観月の夕べは4日と5日にも行われていましたが「天候に恵まれなかった」とのこと。法話をお聞きしながら、中秋の名月の夜にこうしてきれいな月を見られたことの喜びを嚙み締めました。

「では月を見上げてください」のお言葉で、皆一斉に上を向きます。一つの月を皆で共有する一体感は、言葉にしがたい心地良さがあります。

「月に向かって大きく拍手をしましょう」と拍手が始まり、パチパチという音が月へ向かって昇っていきました。



「二つの月を見る」ということ

嵯峨天皇が名月を愛でた時代から1200年以上経ち「観月」の方法も大きく変わりました。平安時代の貴族は水面に映る月を眺め、私たちは夜空に浮かぶ月を眺めます。

大沢池に昇る二つの月は、過去と現在の交差点。
かつての「名月」と現代の「名月」を同時に目に映すとき、私たちは平安の人々との出会いを果たすのです。




取材協力/大覚寺 文,一部写真/神山 史月














◇参考書籍
・坂口博翁『古代ロマン漂う嵯峨野』2013年 ブレイン
・八條忠基『有職故実から学ぶ 年中行事百科』2022年 淡交社
・矢野貫一『京都文化および動植物の国文学的探究——矢野貫一著作集』2022年 勉誠社
・真板昭夫,河原司編『大覚寺大沢池 景観修復プロジェクト——古代と現代をむすぶ文化遺産』2009年 世界思想社