「平安時代の化粧」と聞いて、何を想像しますか?
真っ白な肌に真っ黒な歯……平安時代の貴族の女性は、それは特徴的な化粧を施していました。
今回の記事では平安女子の化粧事情をご紹介します。
平安時代の化粧=「顔づくり」
平安時代では、顔に化粧を施すことを「顔づくり」と言いました。
それぞれの個性を際立たせる化粧ではなく、皆似たり寄ったりの顔、つまり「画一的な美女」を目指した化粧だったのです。
当時の貴族の女性は、朝起きて髪を整えた後に顔づくりを行っていたため、寝起きの素顔を人に見られることをとても恥ずかしく思っていました。
紫式部日記には以下のように記されています。
御さまのいとはづかしげなるに、わが朝がほの思ひしらるれば、「これおそくてはわろからむ」とのたまはするにことつけて、硯のもとによりぬ。
道長様のご様子が、たいそうご立派でいらっしゃるので、私の寝起きの顔(のきまり悪さ)を身にしみて感じるのですが、「これ(女郎花の歌を詠むこと)は、遅くなってはよくないだろう」と仰るのを良いことに、部屋の硯のもとに近寄った。
寝起きの素顔を人に見られたくない気持ちには、現代に通じるものがありますね。
平安時代の化粧
平安時代の貴族の女性は、白・赤・黒の3つの色を用いて化粧を施していました。
この3つの色は以下の用途で使い分けられました。
色 | 用途 |
---|---|
白 | 白粉 |
赤 | 紅 |
黒 | 引眉・歯黒め |
それぞれの用途について詳しく解説します。
白粉(おしろい)
平安時代の貴族の女性は、顔に白粉を施して真っ白にしていました。
平安時代以前は頬を真っ赤に塗った「赤化粧(紅化粧)」が主流でしたが、白粉の輸入によって白化粧が流行したのです。
また、平安時代の室内はほの暗く、夜も燈台の灯りのみで過ごしていたため、薄暗がりの中で顔を際立たせるには白粉を用いた白化粧が最も適していました。
白粉は元々「しろきもの」と呼ばれていましたが、後に女性が使うものとして「おしろい」の呼び名に変化しました。
画像のような箱に入れて保管されていたようです。
鉱物性の白粉
平安時代の白粉の原料には、植物性と鉱物性の2種類がありました。
今回は特に愛用されていた鉱物性の白粉について掘り下げます。
鉱物性の白粉は平安時代以前に中国から伝来していましたが、実際に使用されたのは平安時代になってからです。
鉱物性の白粉は、主に以下の2種類に分かれました。
・ハフニ(京白粉)
→鉛を酢で蒸して生じた白粉
・ハラヤ(伊勢白粉)
→辰砂(水銀化合物)に塩を混ぜて蒸して生じた白粉
鉱物性の白粉は水で溶いて肌に塗るため、植物性の白粉と比較して延びの良さや光沢が段違いでした。
特にハフニが広く愛用されていたようです。
しかし、ハフニの使用には1つ大きな問題がありました。
それは、鉛毒です。
鉛から作られた白粉を使えば、皮膚から鉛毒が吸収されてしまいます。
特に身分の高い女性ほど入念に白粉を施していたため、体内に蓄積される量も多くなりました。
当時、貴族の女性の多くが30歳未満で亡くなった原因とも考えられています。
紅
紅は紅花の花弁を絞った汁で作られた顔料です。
奈良時代に中国から伝来し、呉の国から渡来した藍ということから、「くれない」とも呼ばれていました。
真っ白い顔に色を加える手段として、主に「頬紅」と「口紅」の2つの用途がありましたが、「爪紅」として爪に紅をさすこともありました。
紅は画像の中央奥のような紅皿に移し、指や筆で取って塗っていました。
口紅は濃く塗ると玉虫色に光るため、加減に注意していたようです。
引眉
平安時代の女性は成人すると眉を全て引き抜き、眉墨で眉を引いていました。
眉墨には油煙・麻幹の黒焼・捏墨が用いられました。
麻幹:麻の皮をはいだ茎
捏墨:麦の里穂などを胡麻の油で練ったもの
眉の引き方も特徴的です。
具体的には、額に向かってぼかしながら全体が同じ太さになるように引いていました。
加えて、本来の眉の位置よりも上に引いていたため、目と眉の間が広くなり、バランスよく見えました。
引眉は平面的な白化粧にポイントを加えると同時に、目と眉のバランスを整える効果的な化粧法だったのです。
※平安時代の眉毛は元の眉の位置から少し上に引く程度で、額の上部に引くようになったのは、鎌倉~室町時代からとする説もあります。
歯黒め
歯黒めは歯を黒く染める習慣のことです。
「鉄漿」とも呼ばれていました。
歯黒めは引眉と同様に、成人すると同時に行われていました。
具体的には以下の方法が用いられていました。
鉄片を加熱する
↓
酢または酒を加える
↓
褐色になるまで放香する
↓
歯磨きの後に羽の筆で塗る
歯黒めは虫歯予防としての側面も持ち、女性だけではなく男性も行っていました。
平安時代の女性と化粧崩れ
化粧崩れは平安時代の人々にも通じる悩みでした。
特に白粉の「ハフニ」は水に溶いて用いる粉のため、少しの時間で崩れてしまったのです。
しかし、当時は化粧崩れを防ぐ方法がない上に、崩れの補修や修正も簡単ではありませんでした。
こうした化粧崩れは、貴族の女性がみだりに顔を見せない理由の1つとなっていました。
まとめ
今回は平安時代の化粧事情について解説しました。
「寝起きの素顔は恥ずかしい」「化粧が崩れた顔を見せたくない」といった共感できる部分もあれば、眉の引き方や歯黒めなど、現代とは異なる部分もあります。
時代と共に変わるものはあれど、1000年以上前の人々も同じ気持ちを抱いていたと考えると、親近感が湧いてきますね。