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文化・風習

夏の風に揺らめく風鈴|意外な起源と歴史を解説

江戸時代の風鈴

夏の風に揺らめく風鈴は、目にも耳にも涼しさを運びます。
現在、風鈴は夏に使うものとされていますが、昔は一年中吊るされていたことをご存じでしょうか。
本記事では、風鈴の持つ意外な起源と歴史を紐解いていきます。

風鈴の起源

寺に吊るされる風鐸。
皆さんも一度は目にしたことがあるのでは?

風鈴の歴史は、古代インドの仏寺から始まります。
「風鐸」という魔除けの道具として、寺の塔廟(仏像を安置したり、死者を供養するための塔)に吊り下げられていたのです。

やがて、古代インドを訪れた中国僧が風鐸の文化を持ち帰りました。
約2000年ほど前の中国では「占風鐸」という占いの道具として使われており、竹林に吊り下げて音の鳴り方や風の向きで吉兆を占っていたとされています。

また、特に仏教が栄えていた北魏の洛陽では、風鐸は荘厳さの演出にもなっていました。
なかには5400個もの風鐸を吊り下げた寺院もあったようです。

中国の風鐸は、日本の僧侶達によって日本に伝えられました。
日本最古の風鐸は、法隆寺の五重塔の風鐸とされています。
そして現在も、各地のお寺の四隅には風鐸が吊るされています。

風鐸は、風鈴のような涼やかな音ではなく、ガランガランと鈍い音だったと言われています。
この音が聞こえる範囲では災いが起こらないとされており、一年中吊るされていました。


平安時代~室町時代の風鈴

貴族と風鈴

平安時代には、貴族が朱色の風鈴魔除けとして軒下に吊るすようになりました。
朱色は魔除けや災厄を防ぐ力を持つとされていたためです。

当時の風鈴は貴族の権威の象徴としても扱われていました。

暑気払いの道具として大衆化

主に寺や貴族の屋敷で使われていた風鈴ですが、徐々に大衆に広まっていきました。

昔は夏に疫病が流行りやすかったため、暑気払いのための道具として浸透していったのです。

それに伴い、魔除けの道具としての朱色から、より涼しさを感じられる青色へと変化していきました。(朱色の風鈴も継続して流通していました)

室町時代には大衆化していたという記録が残っています。


風鈴と仏教

「風鐸」から「風鈴」へと変化

「風鈴」という名前に変化したのは、鎌倉時代末期とされています。
浄土宗の開祖である法然上人が、文中で「風鈴(ふうれい)」という表現を用いたことが始まりのようです。

また、法然上人は風鈴を「極楽に吹く風を知るもの」としても捉えていたと言われています。

法然上人の弟子・法性寺の空阿弥陀仏も風鈴を気に入っており、あちこちに風鈴を持ち歩いていたようです。
法然について書かれた書物『圓光大師傅』には、次のように記されています。

上人の弟子法性寺の空あみだ佛は極楽の七重寶樹の風の響をこひ八功徳池の波の音を思ひて
風鈴を愛してとこしなへにつつみ持て至る處ごとに必これかけられけり

「風鈴をたいそう愛し、いつも大切に包んで持ち歩いて、行く先々で必ずそれを掛けていた」とは、よほど風鈴に魅了されていたのでしょう。

風鈴と悟り

風鈴と仏教の関係性を説いたのは法然上人だけではありません。

風鈴は偈頌げじゅ(禅宗の僧侶が悟りの境地を表現する漢詩)の題材としても使われ、その詩は風鈴頌ふうりんしょうと呼ばれました。

中でも天童山の如浄禅氏の詩が優れていたとされています。

渾身うんしん口に似て虚空に掛り、
 東西南北の風を問わず、
  一等、他の為に般若を談ず、
滴丁東了滴丁東ていちんとんりやんていちんとん

https://www.zofukuji-fuurindera.jp/yumekakefuurin

「どこから風が吹いても変わらずちりんちりんとなる風鈴のように、人生にどんな風が吹いても平常心を保つ」

風鈴の音に心の働きも倣いたいものですね。


江戸時代の風鈴

ガラス製の風鈴の登場

江戸時代に入るとオランダから透明のガラスの製法が伝わり、中期にはガラス製の風鈴が登場。
長崎のビードロ職人が江戸・大阪・京都を巡業する中で人々に知られるようになりました。

しかし、当時のガラスはとても高価で、ガラス製の風鈴は現在の価格にして約200~300万で売買されていました。

とても庶民が買えるものではなく、大名や豪商などのお金持ちの人だけに楽しまれていたようです。


江戸の町と「風鈴蕎麦」

江戸時代中期(1736年~41年)に入ると、「風鈴蕎麦」という屋台蕎麦が庶民の間で人気を博しました。
その名の通り、屋台にガラス製の風鈴を1~2つ吊るした屋台蕎麦です。

風鈴蕎麦では、主に二八蕎麦質の良いネタを扱った夜食用の蕎麦を提供し、かけ蕎麦のみを販売していた「夜鳴き蕎麦」との差別化を試みました。
また、屋台の外観には市松模様を取り入れ、目にも印象的な屋台だったようです。

風鈴蕎麦が広まるにつれて、人々は「風鈴を食う」という表現を用いるようになりました。
風鈴=蕎麦の認識が定着していたようです。

この風鈴蕎麦は明治時代まで長く親しまれました。


粋と涼を併せ持つ道具として変化

江戸時代後期(1830~43年)には江戸でもガラスが生産されるようになり、ガラス製品を扱う問屋も誕生しました。

中でもビードロ風鈴やビードロ簪のような嗜好品が流行していたようです。

この頃から風鈴は粋と涼を楽しむ道具へと変化し、絵画のモチーフとしても使われるようになりました。

江戸の町では「風鈴売」が鳴らす風鈴の涼やかな音が響き、涼を運びました。

売り声もなくて 買い手の数あるは
音に知らるる 風鈴の徳

この狂歌は江戸時代末期の風鈴売の様子を歌ったものです。

売り声を上げずとも、町を歩けば風鈴の音に人々が惹きつけられる。

そんな様子が目に浮かびます。


夏の風物詩として浸透

風鈴を夏に吊るし、秋には収める習慣が生まれたのは、江戸時代と言われています。(諸説あり)

風鈴が流行する前から、人々の間では秋になると籠の中で鈴虫を飼い、鳴き声を楽しむ習慣がありました。

風鈴の音と鈴虫の鳴き声が似ていることから、夏は風鈴の音を、秋は風鈴を収めて鈴虫の鳴き声を楽しむ風習が生まれたと考えられています。

画像は「卯の花月」、つまり4月の江戸の町を描いたものです。

旧暦では4月は初夏に当たり、中央の男性が初鰹を捌いている様子からも夏の始まりが感じられます。

中央左にも注目してみてください。風にそよぐ風鈴が描かれています。

朱色の外身は夏の太陽を、淡い赤と青の縞模様の短冊は、太陽に照らされる空と海を表しているようにも見えますね。


風鈴に見る日本人の感性

明治時代にも風鈴は人々を魅了し、明治20年頃には風鈴売で安く江戸風鈴を買う人が続出しました。

そして、現代まで日本の夏の象徴として人々に愛され続けています。

魔除けの道具から、涼を運び、夏の風情を感じさせるものとして変化した風鈴の歴史を思うと、今日まで受け継がれる日本人の感性がひしひしと伝わってきます。

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